当時の素人投稿画像は、シンプルなものが多かった。
なかには雑誌のグラビア並みに凝った作品もあるにはあった。けれど、ほとんどは思いつきで撮影したヌードやハメ撮りのスナップ写真。連続性のない単発作品が大多数だった。
そこで私は、ストーリー性やシチュエーション、そればかりか被写体の心の動きまで、画像に盛り込もうと目論んだわけである。
主婦が自宅でセルフ撮影。しかも、ためらいや恥じらい、興奮などの情感をこめ、刻々と肌を露出していく。その様を連続で撮影し投稿する。こうしたコンセプチュアルな作品は、今でも多数派ではないだろう。
平日の午後。夫が不在の自宅。火照った身体を持て余した主婦が、身の内に欲望を感じ、カメラを前に自慰を始める。撮るほどに恥辱と興奮が湧き上がり、次第に行為は熱を帯びて、カメラの前で大胆になっていく。乳房を晒し、敏感な乳首を自ら虐め、やがては・・・。
そんなストーリー性を盛り込んでみたわけだ。
実際に女性が単独で撮影するのは、なかなか容易ではないだろう。コンセプトを思いつくことはあっても、実行するとなると難しいのではないか。
そこで私が演出を買って、撮影の流れを指示書にして、みぃに渡したこともあった。
この画像群は、投稿を始めて間もないころの撮影だったように思う。
乳首にチェーン、下着の中にはローター。
そんな淫靡な行為と、どこかまだ初々しい若奥様風な雰囲気がアンビバレントで、なんとも言えぬエロスを醸成しているように感じる。
「どうぞご覧ください」といった、開けっぴろげな画像は、健全で潔くはある。だが、淫靡さに欠けるきらいがある。
裸体を自ら撮影し、投稿サイトで公開する。その非常識な行為には、当然、後ろめたさがつきまとうはず。(いつか「イケナイこと」という感覚は麻痺していくにしろ)
しかし、禁忌だからこそ、余計に興奮を覚える。そうした心的背景が、エロスを生み出すのだと私は思う。
彼女は、どこにでもいるような奥様である。
普通すぎるくらい普通で、むしろ彼女はコンプレックスの塊でもあった。
「私みたいな者が、裸を晒すなんて・・・」
そうした彼女のネガティヴな意識が、さらにエロスを形成するのに役だっていたように感じる。
お隣に住んでいそうな奥様が、こっそり淫らな撮影をしている。そんなシチュエーションこそが、素人画像の面白さではないだろうか。
クリーム色のセーターに柿色のスカート姿でゴミ出しをする隣の奥様。その着衣の内には、目にも鮮やかなサックスブルーのランジェリー。そして豊満な肉体が隠されている。といった具合である。
私にとって、彼女は理想的なパートナーだった。
撮影コンセプトをクドクドと話さなくても、最初から理解してくれていたからだ。
「自らの裸体がネットで多くの人の目に触れてしまう。それはあまりに恥ずかしいことだ。日常では考えられないほどの恥辱だ。だからこそ、燃えあがってしまう。そして、視られることを想像するほどに、身体は淫らになり、オナニーせずにはいられなくなってしまう」
みぃを視られたがりな女に変えていくこと。
それが当初からの私の目論見だった。そして、投稿を重ねる度に、その性向には拍車がかかっていったように思う。
けれど、大胆になりすぎては面白くない。イケナイことだというモラリティと、裸体を視られたいという欲望のせめぎ合い、心的葛藤がなければ、エロスは成立しないからだ。
ちなみに照柿(てりがき)は、今回、思い付きで付けたタイトル。みぃのスカートの色や、乳輪の色が柿のようだったから。照柿とは、柿色の染物や染料のことらしいが、実は高村薫の小説のタイトルを拝借した。
小説も面白かったが、20年ほど前、三浦友和、田中裕子主演でドラマ化され、その印象がとりわけ深い。
照柿とは、燃えあがる欲望、後悔、焦燥感・・・男と女の情念の色である。
私とみぃの身体の内にも、煌々と柿色の炎が燃え続けている。チロチロと頼りなく炎を揺らし、風でも吹こうものなら消えてしまいそうな時期もあった。
しかし、この炎は決して消えたりしない。それは多分、生の炎そのものとなって、今は燃えているからだ。
こうして、みぃの柿色の乳輪を見ていると、私の炎が勢いを増していくのがわかる。
熟れきった果実に歯を立てて、強く噛んだなら、裂け目から果汁がたっぷりとほとばしるに違いない。
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こんばんは
「照柿」のタイトルを見た時にどういう意味が込められているのだろうと実は調べました。
すると小説が出てきて、おおまかなあらすじがありました。
「激しく愛し合う」そこだけのフレーズをみて、その意味だと認識しましたが違ったのですね。
“想い出”のエントリーのタイトルはいつもそこに深い意味があるように感じて、実はタイトルを調べたのは今回が初めてではありません。
お二人の想い出が1冊の本となれば良いのになぁと思ってしまうくらい、このシリーズのエントリーが大好きです。
智様の書かれる文章に引き込まれ、まるでその場にタイムスリップするような、そしていつの間にか自分自身のカラダも熱くなったり。(重ねてしまって)
照柿、柿はさぞかし甘く蕩けてしまいそう。